税理士試験本番初日まで70日となりましたね( ゚Д゚)
私は、2019年12月の住民税試験合格で税理士試験の受験は終わりましたが、例年、「今年こそは最後まで死ぬ気でやる」と豪語していたような気がします。
今回のブログ記事は、「死ぬ気でやる」の本当の意味やその重さを教えてくれたおじいちゃんとの思い出を用いながら、語りたいと思います。
結論だけ先に申し上げると「人は、自分で目標を決めた(死ぬ気でやると言った)ところで実現することは非常に難しく、切羽詰まった状況(やらざるを得ない状況)にならないと中々行動しない生き物だ」ということを実体験を交えて語りたいと思います。
前提として
まず、この話をするに当たり、前提として、私の受験歴を紹介しておきます。
19歳…専門学校に入学(専門学校1年目は大した実績を出せませんでした)
20歳…6月に日商簿記検定一級に合格、11月に全経上級に合格(税理士試験の受験資格取得)
21歳…8月に初受験(簿記論判定A、財務諸表論判定A)
22歳…8月に2回目受験(簿記論・財務諸表論合格)
23歳…上場企業就職後、住民税試験初受験(判定C)
24~30歳…学習は定期的にしていたものの、仕事が忙しく、受験歴なし
31歳…上場企業退職後、中小企業に勤めながら、大学院入学(大学院の時は、論文集中のため税理士試験を受験せず)
32歳…大学院を3月に卒業。卒業後税理士試験の試験勉強を再開し、8月に住民税試験を受験、12月合格
結果として、大学院卒業後の最初の税理士試験で住民税試験を合格できたのには、自分なりに理由がありました。
急に聞かされたおじいちゃんの病気
31歳の秋頃、余程のことがなければ連絡してこない母より一本のLINEが入りました。
「おじいちゃんが喉のガンで声帯を切除することになった。手術後は言葉が話せなくなるから時間あるときに電話してあげて」と
この時期は、大学院の1年次の後半で、単位取得のために授業に必死になって出席し、レポート作成に追われていたのを覚えています。
正に青天の霹靂でした。
自分にとっておじいちゃんは、東京に上京する際に、親族の中でも一番背中を押してくれた人で、小さい頃から大好きな存在でした(怒るとものすごく怖かったですが、幼い頃は、竹を山から切って来て、水鉄砲を作ってくれたり色々な思い出があります)。
そんな優しいおじいちゃんの声が一生聞けなくなるなんて…想像もできません。
ただ、その反面、手術がうまくいけば、生存はできるとのことでしたので、ほんの少し安心しました。
今でも忘れない応援の言葉
LINEを母からもらった、その週末、入院する前のおじいちゃんに電話をしました。
私は、1時間以上おじいちゃんと話をしました。
内容は、幼き頃におじいちゃんが、私にしてくれてうれしかったことや自分が東京に上京する際に後押ししてくれたことへの感謝。今でも税理士という夢をあきらめないで大学院に通っていることなど、様々なことを語りました。
離れて暮らしていると話せなかったことが、次から次へと出てきます。
そして、思い出と共に、大好きなおじいちゃんの声が一生聞けなくなることへの悲しみも一緒に込み上げてきて、涙が止まらなくなりました。感謝すればするほどに涙の勢いが増していきます。
「もっと早くから時間を作ってでもおじいちゃんと色々話せばよかった」と今では非常に後悔しています。
おじいちゃんとの電話での会話の中で、一番覚えていることは、おじいちゃんが「だいなり、今のまま自分を信じで、夢を実現できるように頑張れよ」という一言です。
おじいちゃんは、自分の声を失うことを嘆くよりも、僕のことを応援してくれたのです。
なんておじいちゃんは「強い人」なんだと、また、どこまでも心が広く、優しい人なんだと心底感じました。
手術後
おじいちゃんの手術は無事終わり、命に別状はありませんでした。
手術の数か月後に、おじいちゃんの容態を見ながら、実家へ帰郷しました。
そこには、声は失ったものの、それ以外は何も変わらないおじいちゃんの姿がありました。
身振り手振りと筆談で会話を交わし、元気であることが確認できて、本当にうれしく思いました。
もう一緒にお酒を飲むことはできませんが、ゆっくりとお茶を飲みながら、筆談を楽しみました。
自分の子供(おじいちゃんにとってはひ孫)とも、自分の幼いころの様に遊んでくれて微笑ましかったです。
急にやってきたタイムリミット
実家に帰郷してから数か月後、急に母よりLINEがありました。
「おじいちゃんが再度入院することになった。ガンが全身に転移していて、余命は長くて1年」だと。
正直、いつかはこう言う連絡が来るだろうとは感じていました。
ただ、早すぎます。手術後あんなに元気にしていたのに…
そこから、真剣に「今自分がおじいちゃんに対して何ができるだろうか」という事を考えるようになりました。
答えは1つです。
おじいちゃんが死ぬ前に、応援してくれている自分の夢を実現させて、報告をする。
この時、「死ぬ気でやる」「必ずやる」「自分に負けず、限りある時間を無駄にしない」と決めました。
夢の実現
「死ぬ気でやる」そう決めてからというもの、自分でも不思議なくらい、緊張感を持って学習に取り組むことができました。
大学院を卒業してから、税理士試験まで約5か月しかありませんが、それ以上におじいちゃんの命は、確実に尽きようとしています。
人生でこんなに切羽詰まって何かに取り組んだことはありません。
他の記事で、専門学校当時のスケジュールを公開していますが、この時はこの時で、自分のMAXの力で頑張ったと思っていましたが、おじいちゃんの死を覚悟してからの学習への取り組み方に比べたらやはり甘かったなと感じました。
「死ぬ気でやる」という言葉の重さが全然違うのです。
何よりも本番での集中力が凄かった。
本試験直前に心の中で「おじいちゃん必ず合格するから」と気合をいれました。
恐らく、本試験の計算で満点が取れたのは、おじいちゃんのおかげです。
こうして、12月の合格発表では、住民税試験合格を掴み取ることができました。
おじいちゃんへの報告
12月の合格発表直後におじいちゃんへ手紙で報告をしました。
手紙は、おばあちゃんが読んで伝えてくれたようで、笑顔で喜んでくれたそうです。
この時、既におじいちゃんは自分の力ではベッドからは起き上がることができない状態でした。
そして、合格発表の翌月、おじいちゃんは亡くなりました。
おじいちゃんへの感謝
私は、本当は弱い人間です。勉強に関しては、限りなく凡人です。
でも、諦めない心と自分のことを心から応援してくれる人がいます。
人は、限られた時間でこそ本当の力を強力に発揮できるのだと自らの実体験から学びました。
35歳までに税理士試験を突破できなければ諦めると心の中で決めていた私ですが、おじいちゃんはそれを見透かしていたのかもしれません。
時間には限りがあることも学びました。
おじいちゃんに感謝し、そして、自分を応援してくれる妻や子供、周りで支えてくれる人々に感謝し、1歩ずつ進んで行きます。
終わりに
今回の記事では、私の考える「死ぬ気でやる」の意味を実体験を交えてお伝えしたかったのですが、少々センチメンタルな気持ちにさせてしまったかもしれません。すいません。
私にとっては、おじいちゃんの死が、究極的に切羽詰まった状態(やらざるを得ない状況)となりました。そして、結果を出し、夢の実現を掴んだのです。
なかなかこう言う状況は生まれませんが、切羽詰まった人間がいかに力を発揮できるようになるかという一例としてはご理解いただけたのではないでしょうか。
良く聞く話としては、仕事を辞めて税理士試験専念し、自ら背水の陣を組むことで短期集中して試験を突破するという話と同じかと思います。
自ら背水の陣を組むこと、一歩踏み出すことの勇気を持つこと、これが非常に難しい。
ただ、難関試験を突破したり、成功者の人たちは、これを早い段階から理解し、自らを追い込み、実行しているのです。
時間には限りがあるという事を、この記事を書くことで自ら再認識し、また、皆様におかれましては、何か奮起する起爆剤にでもなればと思い記事を書いた次第です。
また明日から、新たな1歩を踏み出したいと思う「筆者だいなり」でした。