なぜ税理士を目指したのか?
自分の経験談と題しまして、税理士を目指すまでの過程を、それぞれの分岐点ごとにまとめて記事にしていこうと思います。
「お前の過去なんて興味ないわ」って思う方もいるかと思いますが、中学生・高校生の頃は人生に悩むものです。そんな若人のためにも、老婆心ながら、アドバイスの一つとして書かせていただきます。
まず始めは、高校生編です。
私は、高校生3年生の時に税理士を目指すと決断しました。
私の通っていた高校は、偏差値40-44くらいの大して勉強できない人が行くレベルの商業高校です。
中学では、野球をバリバリやっていて、県内では4本の指に入るくらいの強さを誇るチームで4番を打っていました。
その様なチームの4番を打っていましたから、当然の如く、県内の有名チームから特待生として勧誘がありました。
もちろん、当時の将来の夢は、プロ野球選手でした。(地元は多くのプロ野球を排出しており、メジャーリーガーも出ています。)
しかしながら、私は、特待生として有名校には入学できなかったのです。
理由はお金がなかったからです。
特待生は、入学金や学費は免除されるのですが、年間100万以上の遠征費や寄付などが必要
となり、どうしてもあきらめざるを得なかったのです。
この時の気持ちが税理士を目指すきっかけの一つにもなってもいます。
プロ野球選手を目指させたのは親でした。しかし、特待生には出してもらえなかったのです。
正直、この時は親を恨みました。無責任に夢を託されたものだと。
しかし、漫画のヒーローは、弱小チームから勝ち上がり甲子園に出ているじゃないか!と自分に言い聞かせ、バラ色の高校生活と縁を切り、頭を丸坊主(5厘)にし、野球にのめり込みました。
そのおかげで、甲子園には出れませんでしたが、地区大会では強豪校をおさえて優勝することができました。
この様な経験があったから、根性や忍耐力がついたのだと思います。(この一つの事に打ち込む姿勢が、今後の人生に大きく役に立ち、また、税理士試験においても例外なく発揮されています。)
そんな青春の日々は流れ、高校3年の秋、就職活動をするか、それとも、進学をするか選択を迫られました。
ここで問題となったのが、自分の金銭感覚のズレと金に対する執着心でした。
自分は正直、本当にプロ野球選手を目指していたので、給与は30代で最低1,000万は欲しいと考えていました。(出来れば億単位。今考えると世間知らずとしか思えませんね(笑))
しかし、高校にくる求人票をみて驚愕しました。地元の高卒の給与は高いところで額面20万円だったのです。
「こんなんで生活できるかー(怒)」。衝撃と落胆を受けたのは今でも覚えています。
そんな現実を受け止めることができず、給与が1,000万円以上もらえる職種を図書館に調べに行ったのです。
「給与が高い職業は…1位医者、2位弁護士、3位公認会計士、4位税理士…」
「医者は学歴的に無理だし、弁護士はキムタクみたいにはなれないから無理だし、公認会計士とか初めて聞いたからよくわからん。」
「税理士?税金関係か…おれ簿記得意だからいけるんじゃね!お、しかも、年収3,000万も夢じゃないとか書いてあるし!!よしこれにしよう」
「年収3,000万あれば、高級外車乗って、高校生活ではエンジョイできなかったギャルをはべらすこともできるはず!(完全に偏見です)」
「良し、税理士を目指そう」
こうして、税理士を目指すことになったのです。
その後、税理士になるための方法として、
①日商簿記検定一級を取って最短で税理士試験を受かる方法
②大学行って単位を取って税理士試験を受かる方法
③税務大学校に行って税務職員になり、最終的に税理士を目指す方法
があることを調べあげ(当時はざっくり考えてました)、①を選択したのです。
同じ野球部の友達のオヤジさんが③のルートで税理士になっており、③を薦められましたがジジイになってから金があっても若いギャルとは遊べないと思い、①を選択したのです。
当時の学力はというと、日商簿記2級と全商1級(簿記、電卓、Excel、ワード、コボル)を持っていたので、日商簿記1級とか楽勝でしょ!とか思っていました。
そして、奨学金を借り、税理士予備校大手のO社の3年制のコースに入学するのでした。
さあ、ここからが、地獄の始まりです。
つづきは、専門学校編をご覧ください。